面白いとはこうも難しいものなのか?

ブログやってるから面白く書きたい。

せっかくmac買ったんだから面白い作品が作ってみたい。

 

当然、面白いことはよく反応されて

こっちのモチベーションにも繋がるんだけど

面白いもの作らなければと思ってしまうと全く行動できない。

頭で考えてはこんなものは面白く無いだろうと考えて

全く行動せず。

 

こんな事ばっかりで、結局何もしない。

何もしないってのはまぁそれはそれで良いのだろうけれど

何もしないくらいなら適当にやって爆死した方が

よっぽど良さそうな気もする。

 

大体考えたら面白いものができるのかと言われれば甚だ疑問である。

まず私程度の人間が面白さを狙うとそのいやらしさが鼻につくだろうし

盛大に滑って黒歴史と化しそうである。

 

世間一般で流行しているものを私自身も試す事は多々あるが

どうも面白さがわからないなんて事はざらにある。

 

私の感性が老化しているとかズレているとかいうのも大いにあるとは思うが

私には理解ができないという事は本当によくある。

 

説明できる面白さだとすでに陳腐化しているのかもしれない。

説明できないが本能的に面白く感じる、この状態が素敵なのかもしれない。

 

だとしたら、最初から面白い物を作ろうなんていう事は不可能に近いのではないか?

説明できないこと・理解ができない事を面白いと感じるならば

最初から狙って当てるなんてできない。

何百、何千のトライアルの中からほんの一部が当たるだけで。