自臭症で人生が辛い私の過去から現在まで

私は自臭症らしいです。

何で「らしい」なのかというなら

自分には確実に何らかの臭いがあり、それによって他人に迷惑かけて嫌われるとしか思えないないからです。

 

始まりは高校生の頃で私は自転車で通学して

いました。そんなに遠くないのですが30分くらいはかかる所です。

 

高校入学したての初めのホームルームの時から私は緊張して冷汗がダラダラと出ていました。

体も火照って凄く嫌な汗のかき方でした。

何かしらあったからそうなったのか、その体が火照って冷汗をダラダラかくということが

高校の自分のクラスの席に着いた時の癖になってしまいました。

 

ある日、クラスの女子生徒とすれ違う際に

「うわっ」と声をあげて眉を潜めて鼻を押さえて仰け反り避けるような仕草を目の前でされました。

これが自分が臭いんだと思うようになったきっかけであり、トラウマです。

この出来事があってから特に女性に相対しては

この冷汗が止まりません。

同僚の女性に特に何も言われたりはしていない

人にさえ何かを頼むとか業務でしっかりと関わらなければならない際には背中にびっしりと

冷汗が出てきます。

 

他にも高校の時には様々ありました。

席替えで隣になった女子が知らない間に別の空いている席に変わってた。

私の席の近くで消臭剤を振り撒かれた等、

これだけやられれば、自分が臭いんだと思いますよね?

 

今はインターネットショッピングが発達して

色々なデオドラントも売り出している時代でしたが、当時はそこまでではなくデオドラントの情報も入ってこなくて、田舎の高校生くらいが買えるのは制汗スプレーくらいでした。

まぁ使ってはみましたが、冷汗で簡単に流れてしまうだけでした。

 

私は親に相談していくつか病院を回ってみました。最初は内科だったと思います。次に心療内科でした。ここで初めて心療内科を受診して

ここから先言われ続けている言葉を言われます。

「貴方には臭いは無い、気にし過ぎである。」

他の心療内科やらカウンセラーには違うようなニュアンスで言われますが、要約すると皆んなこういう意見でした。

 

気にし過ぎと言われても、だったらあの酷い仕打ちは一体どう説明するつもりなんだと私は思いました。しかし、高校生くらいではどうする事も出来ません。

 

当然実家から通っていますから親の手間、高校に行かない訳にもいかず、何とかこなす状況でした。

ただ、高校は留年しなければ3年で終わります。3年辛抱したらこの環境とも別れられるのが唯一の救いであり、生きていく希望でした。

 

親には塾も通わせてもらってましたが、こんな状態で学校終わった後にさらに塾に行く、しかもその塾の生徒は全員同じ高校で顔見知りという状況でした。

 

塾に行っても臭い、冷汗が気になり全く集中できずに途中で辞めさせてもらいました。

 

当時は親も私の状態にあまり理解を示してはくれませんでした。まぁ今もそうなんですが親から言わせれば私はワキガでも何でもなく臭いは感じないのだそうです。

そんな時に私がそういう訴えをして、塾を辞めたり、病院に連れて行って欲しいと頼んだりしていたのですから、それは理解出来ないだろうなと思います。

 

受験に失敗して一浪させてもらう事になりました。バスで1時間くらい行った所にある予備校に通わせてもらう事になりました。

高校生の頃に仲良くしてくれた人が何人か一緒に通っていましたから、そこは心強い思いでしたが、当然ながら他の高校からも生徒は来る訳です。

 

そこでも冷汗は出て、案の定聞こえるように悪口を言われる訳ですね。

挙げ句の果てにバス停で一緒になった小学生にも臭いみたいな事を言われた気がします。

その小学生の事を未だに覚えてるので、ショックだったのだと思います。

でも、お金を出してくれた親の為にも休む訳にはいかないと頑張って行っていました。

 

予備校は二学期制で夏休みがありました。

夏休みの特別カリキュラムが別料金であり、そこに参加する事になりました。

ただ今はもうハッキリどういうシチュエーションがあったかは覚えていないのですが、そのカリキュラムに通えなくなりました。

恐らくは体臭関連だと思います。

それくらいしか行かなくなる理由もおもいあたらないので。

 

たまたま仕事が早く終わっていた親に見つかり問い詰められて、私は体臭で陰口を叩かれ辛くて通えない事を話しました。

後日、予備校の校長と親と話して結局後期は通わなくなりました。予備校の校長が手配してくれた家庭教師が週に何回か来て教えてくれました。後は予備校から送られるプリントで自宅学習です。

 

その甲斐あってか、隣の県の国立大学に入学する事が出来ました。

その時のセンター試験でも近くの奴が「臭くて集中出来ない」と言ってたのが聞こえましたがセンター試験限りだったの関係ですからなんとか耐えて受かりました。

 

この時には別のカウンセラーにも一時的に試験の時までという事で対応してもらっていましたが、まぁ言うことは一緒でしたが多分センター試験を乗り切れるくらいには気持ちを伝えて、それに対応してくれたのだと思います。

カウンセラーにかかった記憶はあるのですが

どんな事を話したかは覚えていません。

 

ただ、根本は変わりませんから大学に行っても一緒でした。

ホントはサークルに入って大学生活を謳歌したかったですが、それどころじゃなく。

一年生の時は大学の一番大きなキャンパスで授業を受けることになっており、共通教育過程という高校時代の延長みたいな授業が殆どでした。中でも必須の授業は受講生も多くて、教室にビッシリと学生がいました。

 

私は、臭いが気になり、その中で授業を受けることに耐えられず一年生の時は単位が殆ど取れてなかったです。

 

大学のアンケートで死にたい気持ちがあると書いたらカウンセラーに呼び出され、自分の事情を話した事があったと記憶しています。

 

ひたすらにアパートに引きこもって、インターネットに没頭しました。今はもう無いチャットに入り浸って、そこではネット上のキャラが他の人に対応してくれますから、楽でした。

親が好意で買ってくれた大学の学食の一年間フリーパスみたいな奴は一回も使えませんでした。学食にいくのが怖くて。

 

ただ、大学の成績表は地元の親には送られてしまう訳で、一年生の時に単位を落としまくってた事を問い詰められて、また事情を話しました。留年だけは辞めて欲しいと言われたのはよく覚えています。

 

大学2年からは田舎の更に田舎のちっちゃなキャンパスに移って授業を受けることになります。人数が一年の時に通っていたキャンパスからはグッと減って授業も少人数でしたから

格段に受けやすくなりましたので、他の学生は一年生の時に単位を充分に取れていれば月曜は学科の必須授業が無かったので常時週休三連休

になったのですが、私はビッシリ取れる授業を入れて単位を取り返しました。

 

買ってもらった原付で時には本キャンパスまで1時間かけて通い、必須授業も補講で取り返しました。

 

学科の授業も大きな教室に少人数なので他の生徒と距離が空けられて受けやすく、授業が終わってしまえばこちらのものとばかりに急いで教室から飛び出して家で自由な時間を楽しみました。

 

大体の大学生は友達と遊ぶ楽しい思い出が大学にはあるのでしょうが、私はこの体臭を気にせず一人暮らしで自由を謳歌できる時間が一番楽しい思い出でした。

 

楽しかったです。体臭の事で煩わされる事はありましたが、高校生、予備校の時から比べると天国みたいなもので今振り返ってもあの時間に帰りたいと思います。

 

学科の人は割と普通に関われる人が大半で

まぁ嫌な奴もいましたが、そこまで関わらなくて良かったのでやり過ごせました。

 

大学生活を自分なりに楽しめてましたが、体臭関連でなやみが無くなった訳では無いので何度かちっちゃなキャンパスに来るカウンセラーに相談したりしました。

ここで初めて精神安定剤を渡されて飲んだ記憶があります。この後社会人になって常飲しないとすごせなくなります。

 

大学生活を終わらせたくなくて大学院に進学させてもらいました。2年間執行猶予期間がもらえました。

 

ただ2年なんてあっという間に過ぎます。

特に院生2年に上がる前くらいから就職活動が本格化します。

 

学部生の時に真剣に就活をしておけば

その時は空前の売り手市場でしたので良い所にいけたんでしょうけど

働きたくない一心で院生になってしまい

その一年後にリーマンショックが起こり

直撃は免れましたが、リーマンショック2年後の厳しい中で

就活をしなければならなくなってしまいました。

 

30社以上受けて、受かったのは今の会社だけでした。

地元だったので今思うとちょうど良かったのかもしれません。

大阪とか都会の方で就活もしていましたが

今となっては通勤電車なんて毎日耐えられないだろうと思います。

 

こういう状態なので一日中席に座っているデスクワークは嫌だと

一応理系でしたので、技術系で応募して受かったので

開発とかそこら辺に行けると思っていたら

思いっきりデスクワークの在庫管理とか製品管理の部署に配属されました。

ここにいるおばさん連中が強烈で仕事はしないが無駄話は多い。

で、大体他人の悪口なんですよね、言ってるのが。

 

毎日、体臭の事を言われないかビクビクしながら通ってました。

というか、実際陰で言ってるの聞こえてましたけど

地元で実家から通っているという状況ではそうそう簡単に

辞めるなんて選択肢が取れないので我慢しながら行ってました。

幸い、事務職ではあるのですが、現場で状況確認も仕事の内に入るので

もう座っていられなくなっていたら現場に逃げていましたね。